不登校から東大、そして引きこもりへ

それなりに色々あった人生を振り返っていきます

血縁という呪い

私は父が嫌いだ。

私の中の父は、周囲に不幸をまき散らす悪でしかなかった。

 

なぜこうも自分のことしか考えられず、

他人の気持ちを思いやれないのか。

 

なぜこのような人間の存在が許されているのか。

なぜ母はこのような人間を見捨てないのか。

 

殺意すらふつふつと湧き上がる相手から離れられない現実に気が付いた時、

幼い私にとってそれはそれは大きな絶望だった。

 

家庭内暴力アルコール依存症などの不幸こそなかったが、

他者への援助を求める上で分かりやすい事象が無いことは、

むしろ私が殻に閉じこもる要因として作用したように思う。

 

私が父の異常さを認識したのは、

思春期に入り反抗期に差し掛かった時だった。

 

父という存在が絶対的に正しい存在ではなく、ただの一人の人間であること、

および一般に比べ倫理観の欠如が甚だしいことを知ると同時に、

それまでの自分が父の思考や言動を内面化していることに気が付いたのだ。

 

父の思想、発言、趣味嗜好すべてに嫌悪感を抱くようになったが、

自分の中に父の影を発見し、それまでの自分をも否定しなくてはならなかった。

 

それ以降、父の影響を受けていない自分だけの自我・思想を獲得するために、多くの本を読むようになった。

 

父はそれほど学のある人間ではなかったので、

父の頭脳の及ばぬ学問領域へ向かえば、

父から自由で、かつより正しいものが得られると思ったのだろう。

 

東大を目指すことができたのも、

東大という世界にある種の救いを求めていたのかもしれない。

 

結局私は大学には適応できなかったが、

そこで学んだことは父からの思想的自立には大いに役立った。

 

 

だが、血というものはどうしようもなくついて回った。

 

顔つきや性格など父に似ている部分がどんどん見つかっていく。

兄弟の中で、私が最も父に似ているという現実。

 

どんなに逃れようとしたところで、

いずれは父親のようになるのではないかという恐怖。

 

兄弟は次々と結婚し、子も産んだが、

私はこの血、この遺伝子だけは残したくないと強く思うようになった。

 

父のような人間がこの世に再び産まれることなど、

断じて許すことはできない。

 

そんな私の絶望などつゆ知らず、

父は私に家庭を持てなどとのたまう。

 

いったいどの口がそんなことを。

 

お前たち両親の何を見れば、

家庭を持ち、子をなすことに希望を見出せるのだ。

 

他人を不幸にするくらいなら、

私は人知れずひっそりと死んでいきたいのだ。